【第4回 東明館野球部】保健体育科 古賀洋先生 | 東明館中学校・高等学校
◆教員リレーコラム◆
第4回の担当は・・・古賀洋先生 (保健体育)
お題『東明館野球部』
今回の教員リレーコラムは、4月4日(日)に行われた、第148回九州地区高校野球佐賀大会の決勝戦で、多久高校に6対5で勝利し、2季連続3度目の優勝を果たした野球部顧問の古賀先生のインタビューです。
Q野球部は、いつからありますか?
(古賀先生)東明館が設立した昭和63年に創部しました。とにかく、すごく弱かったです。
練習試合では、30点以上取られて負けたこともあります。
初の公式戦で龍谷高校との対戦では、県のコールドの記録を更新するかと心配しましたが、0-12のコールドゲームで済みホッとしました。
Qちなみに入部者の中で野球経験者は、いましたか?
(古賀先生)2年目に初めて公式戦に出場したとき、部員は10人で経験者は3人でした。つまり、7人は初心者です。
Q野球初心者への指導で苦労したことは?
(古賀先生)ボールの握り方から指導しました。最初は、ボールを5本指でわしずかみする
部員がいて3本指で持つことと縫い目に沿って握るように指導しました。また、細かなルールは分からない部員もいて、公式戦でも数々の珍プレーがありました。
Q初勝利はいつですか?
(古賀先生)平成元年夏の大会で神埼農業高校(現神埼清明高校)戦です。
Q当初から今まで、指導法など変わった点、変わらない点はなんですか?
(古賀先生)変わらない点は野球が嫌いにならないように指導しています。変わった点は楽しい野球から勝つ野球の指導になったことです。野球部OBの「昔でよかった。今の野球部なら辞めています。」という声を聞きます。
Qかつて弱かった東明館が強くなったきっかけは何でしょうか?
(古賀先生)強化部になったことと、豊福先生の力です。
Q古賀先生自身の野球歴を教えてください。
(古賀先生)部活で野球(軟式)を始めたのは、中学校1年生の2学期からです。10月の新人戦には1年生ながら出場していました。高校では硬式野球部に入り、大学でも続けました。
Qポジションは、どこでしたか?
(古賀先生)大学ではピッチャーでした。アンダースローで球種は、ストレート・カーブ・ スライダー・シュート・ナックルです。ストレートの球速は130km/hくらいでしたが、大学2年の時に腰を痛め、それをかばっていたら肩を壊してしまいました。
Q最後に「神っている」で有名な広島の緒方孝市元監督は、先生の後輩とお聞きしましたが、本当ですか?
(古賀先生)本当です。孝市が高校に入学したときにコーチをしていました。守備がとても上手でしたが、ひょろひょろした体でした。3年間で体も大きくなり、足が速く、高校の3年間の公式戦で、盗塁でアウトになったのを見たことがありません。
今でも年に1回、一緒にゴルフをします。
インタビューありがとうございました。夏の甲子園、期待しています。